「学校でもできること。ガッコウでしかできないこと。」…。これは、約2年間にわたるコロナ渦において、「学校の役目」が変わりつつあることを、本校なりに表現したコンセプトである。昨年度の一斉休校期間を通じて、学校は重要な社会インフラであることを示すとともに、従来のスタイルだけでは現代の生徒たちの教育スピードに追い付いていないことも露呈してしまった。
デジタルネイティブと言われている彼らにおいては、「いつでも、どこでも、だれとでも。」が当たり前の世界になっている。Webを活用して、どんなことでも、どんな世界とも、つながり、時間や場所を選ばずにできるという経験を持っている。クリック1つで、物も食事も届く時代なのである。そんな社会の中で、「学校」だけが、「決まった日時で、決まった場所で、決まった人々と」行われている。
「学校」の学びのスタイルの良し悪しは別として、社会の変化に合わせて「学校」も、できる範囲内では変わっていくことも必要であろう。推測であるが、近年、通信制高校への進学希望者が急増しているのも、今までのように全日制普通科に通えない生徒が消去法で選ぶのではなく、このような社会的背景があってのことだと思われる。
だからこそ、「学校でもできること」は、学校以外でも取り組めばよい。例えば自学自習や講義型の授業を受講することなどである。時間や場所を選ばずに学習することができるツールもシステムもあるのだから、それを活用した方が良いと思う。実際、昨年度は難関上位の学校が極め良い進学実績であったと聞く。それは、自宅学習で自分のペースで学習した生徒が授業を聞くよりも、実力をつけた査証であるとも言われている。確かに通学時間、細切れの授業時間、他の生徒に合わせる進度やレベル…などを考えれば、自宅で学習した方が良いのかもしれない。
しかし、「学校」には、「ガッコウでしかできないこと」がある。他者とのかかわりや協働的な学び、社会の中でジブンを見つけることや、かけがえのない学校生活を送ることなどである。多くの「学び」は、「ガッコウ生活」の中にあるのである。それゆえ、「ガッコウでしかできないこと」はガッコウで行った方が良いし、学校がないことで精神的にも体力的にも不安定になる生徒が増加しているのである。「人の中で人は育つ」意味を考えれば、「ガッコウ」での学びは不可欠であろう。
それゆえ、来るべき時代には、Webとリアルを合わせた「次世代の学校のスタイル」が求められることになるであろう。本校では、前回で紹介したような「Webとリアル」を合わせた授業を展開するほかにも、時間や場所を超えて、より広く、より多くの方とつながり、学ぶための「キャリア活動」を行っている。このような「キャリア活動」をする場合には、学内、いわばクラス内に全員がそろって行う必要なないであろう。それが、デバイスを通じて行われるのであれば、なおさらである。それぞれの自宅や思い思いの場所から参加すればよいし、その方が自分の考えを素直に出せるようになるであろう。
そして、このような「Webでのワークショップ」がある場合は、他の時間授業も「Webスタイル」に切り替えるようにしている。すなわち、「Webを活用した行事がある場合は、自宅から授業をWebで受ける」ようにしているのである。このような柔軟な対応を行えるか、行えないかによって「学校」と「ガッコウ」の差は生じてくるのかもしれない…。
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