非認知能力とも、コンピテンシー能力ともいわれる「人として求められる能力」が、ますます重要になってくることは言うまでもない。一般的な「学力」とともに、この「能力」も伸ばしていくことは必要不可欠である。もちろん、今までも学校生活や学習活動を通じて、常に意識し伸ばしてきたことは間違いがないが、明確な目標や指針をもって伸ばすことができてきたかといえば、少し疑問が残る…。
今までは、社会が生徒たちに求める主な「能力」は、難関大学に合格できる「学力」であった。あるいは、検定試験などをクリアできる「スキル的な学力」であったのかもしれない。これからの「学力」を重視する時代が長く続き、学校現場も、それに応じるような学びの環境を整えてきた。予備校型の授業が人気を博したり、1点を争い、序列をつけて評価する「絶対評価方式」などは、その表れなのかもしれない。その一方で、学校以外の社会では、インターネットの拡大から世界全体がフラット化し、だれでもどこにいても思考力と発想力で、社会変革を行えるようになり、「共通言語」としての英語が一般化するにしたがって、ますます「人として求められる能力の差」が感じられるようになってきた。そのような社会変化の中では、いままでの「学力」では、世界で活躍できる人材になるのが難しいと気が付く人も出始めてきていた…。
AIとの協働社会ともシンギュラルティー社会の到来とも言われるように、人が人としての能力を発揮する場面が、ますます縮小する世界にあって、今までの「学力」だけでは通じないことが、明確になってきた。知識量では、インターネットにかなうことがなく、今まで行ってきた作業も仕事も、マシンにかなわない。このような社会が直前となり、やっと学校現場でも、「次世代の学力」について考え実践するようになってきている。それは、「探究型の学び」であったり、「PBL型の学び」であったりもする。「解が一つではない社会」を意識し、今までの学び方を変えようとする必要に迫られ、いまでは死語に近くなってしまった「アクティブラーニング」などの手法も求められてきた。
しかし、学び方のアプローチやスキルを変えたとしても、「学力」を身につけたのか、あるいは適切に伸ばしているのなどを「評価」しなければ、本当の意味で「次世代の学力」を身につけたとは言えないであろう。この「学力」を評価できて初めて、今までの「学力」に代わる学びであるといえる。
それは、どのように行うのか…?その具体的な事例は、次回で示したい。
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